キャリア塾

キャリアインタビュー:川越満氏

私は30歳くらいに同誌の仕事に関われたらいいなと思っていました。ところが、まだ経験の浅い25歳の私にいきなり編集長になれというのです。当初は、「私にはとてもムリじゃないか」と思いました。でもほかにやる人もいないということで、同誌編集長に就任しました。

2008年3月21日

キャリアインタビュー:川越満氏(2)

川越さんは、医薬業界の出版、調査、コンサルティング事業を展開するユート・ブレーン(株)の正社員として、同社出版物の編集関連業務に携わる一方、講師、ビジネス本の作家として活躍されています。

弱冠25歳の編集長の誕生ですね。それはチャンスとはいえ、ずいぶん大きなチャレンジ(試練)でもありましたねぇ・・・

ユート・ブレーン株式会社 コンサナリスト 川越満氏
コンサナリスト(R) 川越満氏
ユート・ブレーン株式会社

ええ、ずいぶん鍛えられました。アプローチは週刊ですから毎週締め切りがやってくる。ニュース記事等は外部ライターさんなどに依頼していましたが、編集作業は実質私1人でやらなければなりません。最初のころは、毎号なんらか間違いが見つかってお詫び・訂正記事を出してばかりいました。

また、「今週の提言」という巻頭の記事は私が執筆することになっていましたが、最初はこれがなかなか書けなくて苦労しました。アプローチの読者の中には製薬業界のお偉いさんもいらっしゃる。そうした人も読む「提言」ですから、あまり低レベルのことは書けないわけです。20代の若造が書くには荷が重過ぎました。毎週月曜日が原稿の締め切り。ですから、日曜日の夕方、サザエさんの音楽が聞こえると明日の出社のことを考えて憂鬱になる、いわゆる「サザエさん症候群」になりましたよ(笑)実は、今でも「今週の提言」は私が書いています。今では2時間程度で書き終えますが、当時は丸々1週間かけて書いていましたね。

20代は、高いハードルを越えるべく日々苦労しながらも、編集者としての腕を磨かれていったのですね。

そうですね。当時は新規媒体をほぼ半年ごとに次々と立ち上げるような時期で、ピーク時には10誌くらいの編集責任者として働いていましたよ。

それはすごいですね。ところで、ビジネス本を出版することになった経緯を教えてください。

ユート・ブレーン株式会社 コンサナリスト 川越満氏

ユートブレーンは情報誌だけでなく業界向けの各種書籍も発行していましたので、私自身、そうした本の執筆者として執筆はしていたんです。表紙に著者名は出ませんが。私の最初の本は、新人の時に書いた「医薬分業ハンドブック」(共著)です。

ただ、私は夜も眠れないほど苦しんで書いているのに、情報誌では編集者の名前って読み手はほとんど意識しませんよね。私は本来目立ちがりの性格なので、そうして編集者としての自分の存在が読み手に認めてもらえないことに悩み始めていました。31歳の頃です。

そんな時、異業種交流会で出会った友人が「コーチング」の勉強を始めたので、トレーニングの一環として、私にコーチングのクライアントになってくれと依頼してきたのです。私は、その友人とのコーチングセッションを通じて、「なぜ今の仕事に不満を持っているのか、悩んでいるのか」といったことについて深く掘り下げることができました。

そしてわかったことは、私は自分を表現したいということだけでなく、人によい影響を与えたいということでした。情報誌は、文章を通じて自分を表現することはできますが、不特定多数の人たちに広く浅く知らしめる媒体ですから、誰かによい影響を与えているという実感を得ることができません。そこで、たとえば企業の課題を解決するような経営コンサルティングのような仕事がいいんじゃないかと思ったわけです。そこで、「コンサルティング会社に転職してみたい・・・」と考えるようになったわけです。

ところが、実際、関係者に話を聞いてみると、コンサルタントになるには年齢的に遅いと言われたのです。コンサルタントは35歳で独立する人もいる世界です。30歳過ぎでコンサルティング業界に転身するのはあまり得策ではないということでした。これを聞いて私は一時期ずいぶん落ち込みました。

でも、ふと、今の会社でもコンサルティング事業をやっていることに気づいたんです。そこで社長に、講師の仕事などのコンサルティングの仕事もやらせてほしいとお願いしたらあっさりOKが出たんですね。「やりたければやってみなさい」という感じです。ただ、講師の仕事なんて、こちらから売り込むものじゃありませんよね。まずは、知名度や信頼度を高めるために、売れる本を書くことが必要だと考えたのです。

なるほど。しかし、自分が本当にやりたい仕事が実は手の中、つまり今の会社の中にあったというのは面白いですね。

ちょうど同じ頃、Iさんというビジネス作家の方との出会いも私のキャリアの中で重要でしたね。彼はいくつかの会社を経営していましたが、ろくに働いていないように見えるのに、億の年収を稼いでいました。私が従来持っていた社長のイメージは、年収は3千万くらい、一日中激務に追われている大企業の社長といったものだったので、Iさんのワークスタイルには大きな刺激を受けたのです。私は、彼から優れた経営センス、マーケティングセンスを学び、どうやったら売れる本が作れるのかのヒントを得たのです。

その時に私が気づいたのは、自分はわかりやすい本を書いていたつもりが、実際はそのわかりやすさが十分に読み手に伝わっていなかったという点でした。そこで、「制度知識で他社MRに差をつける33のQ&A」(川越満著、2003年発行)では、比ゆ表現なども駆使してさらにわかりやすく書きました。この本は、出る前から「結構行けるんじゃないか」という予感があったのですが、結局、これまでに1万7千5百部出ました。対象読者のMRさんは約5万5千人ですから、3人に1人が読んでくれている計算です。これ以前に書いた本は、せいぜい3000部しか売れなかったのですけどね・・・

この本が売れたことを契機として、講演依頼も入るようになって、期待通り講師としてのキャリアも始まることになります。同じ時期ですが、「コンサナリスト」(R)という造語を作りました。これは、「コンサルタント」と「ジャーナリスト」をブレンドした名称で、私が目指す方向性を示しているような肩書きといえます。なお、「コンサナリスト」(R)は特許などに詳しい友人の助言をうけ、商標登録しています。(聞き手:松尾順)