キャリア塾

キャリアインタビュー:大塚雅樹氏

2007年7月11日

キャリアインタビュー:大塚雅樹氏(2)

最終的には社内ベンチャーへの参画を決断されたのですね。では、立ち上げ時期のことをお聞かせください。そして、社会人になって以来、どのようにご自分のキャリアを磨かれてきたのかについて教えてください。

しかし、最終的には社内ベンチャーへの参画を決断されたのですね。

では、立ち上げ時期のことをお聞かせください。

株式会社JTBモチベーションズ 代表取締役社長 大塚雅樹氏

まず、本社の市場開発室で2年間、私のほか、後に新会社の社長となる方ともう1人の合計3人で、設立準備のための事業計画作りに取り組みました。米国視察に行くなど、さまざまな調査・研究を行ったのです。当時、米国のモチベーションビジネスはすでに3兆円規模でした。

ただ、私は、大学は法学部出身ですし、それまで旅行業務しかやってきていません。ですから、新たに取り組むことになったインキュベーション(事業立ち上げ)やマーケティングのことはまるで知らないし、これまで培ってきた交渉力などの営業的スキルがほとんど活かせないことに戸惑いを感じました。ただ、この2年間は、めったに経験できない貴重な勉強をさせてもらったと思っています。

まるで社内MBAのような経験ですよね。

そうですね。実体験やケーススタディを通じた学びの時間だったと言えます。有識者や、シンクタンクの研究員の方など、とにかく外部のさまざまな人に会い、話を聞きまくりましたので。

私が作成した拙い事業計画書をこうした人たちに見せると、あちこち問題点を厳しく指摘されるわけですよ。そこで、作り直して持っていく。すると、また厳しいことを言われる、ということを繰り返しました。今だったらとても耐えられなかったかも知れませんが、当時は若かったですし、へこむことなくがんばることができましたね。

そうして、93年に、満を持してJTBモチベーションズが船出したわけですね。

はい。会社設立に当たっては、法人登記からオフィスの契約、引越しの手配までありとあらゆることをやらされました。もちろん、このような業務を手伝ってもらうこともできたのです。しかし、本社の役員は、あえて立ち上げの細事まで自分たちでやったほうが、当該事業に対するロイヤルティが高まり、主体的に仕事に取り組むことができるだろうと考えたのです。もし、本社がすべてお膳立てしてしまうと、単に異動で別の部署に移っただけに感じられ、雇われ人的な意識が残る可能性がありますよね。

事業開始当初は、やはり苦労されたのでしょうか?

ええ、当初は仕事がなかなか取れませんでした。電話も鳴りませんしね。(笑)
私は、アカウントマネージャー、つまり営業担当としてあちこちセールスに行ったのですが、「社員のやる気を高めることなんて、社内の仕事でしょう。外部に頼むようなことじゃない。」などと言われてしまう。

半年くらいそんな感じで断われ続けた後、方針転換をすることにしたのです。
それまで、まるで白衣を着た医者のように、「モチベーション理論とは・・・」みたいな大上段からの話をしていたのを止め、JTB本体の旅行営業と組んで、インセンティブ・ツアーで行われる表彰式の演出の提案を行うことを始めました。

インセンティブ・ツアーには表彰式が付き物ですが、その部分についての私たちの提案は付加価値としてみなされたのです。その結果、JTBの旅行自体の価値も上がり、多少高くてもJTBにしようというお客さんも増え、当方にも仕事が入ってくるという流れができたわけです。

こうして、だんだんと仕事が増えてきて人員も増強していったのですが、設立2年目に、そもそも、私たちは「モチベーションを科学しよう」という思いでこの事業を始めたのだから、モチベーションを測定できるツールを開発しようということになりました。それが冒頭に申し上げたサーベイ(調査)です。やる気分析システム「MSQ(Motivation of Status Quo)」と言うのが正式名称です。このシステムの開発には1年を擁し、その間、約18000人の社会人のやる気についてのデータを収集・分析しました。このMSQは、クライアント企業の評判も良く、その後の事業成長の原動力となりました。

MSQは、高度な統計解析を採用した精緻な仕組みだとお聞きしていますが、開発は大変でしたか?

そうですね。私個人としては、統計解析はまったく未知の分野でした。しかし、深い知識は必要でないまでも、ある程度は理解していないと専門家との話ができません。また、MSQをどのように活用すべきなのかということについても、やはり基本の原理がわかっていないとお客さんにも説明できないわけです。そこで、統計解析の勉強を必死でやりました。設立準備の2年間は、どちらというとフィールドワークを通じた学びでしたが、この時期は座学での理論学習です。おそらく、人生の中で一番勉強したのではないかと思います。しかも、営業活動をやりながらの勉強でしたから、本当に大変でした。

そして、大塚さんは38歳で取締役(兼事業部長)になり、さらに42歳で2代目社長に就任され、順調に業績を拡大されています。大企業としては異例の早い出世ですよね。

新人時代のエピソードをお話しましょう。本当はオフレコにしておきたかったのですが、元同僚が書いた本ですでに暴露されてしまった話です。

最初に配属された新宿支店の部署は、当時業績があまり振るわないところだと事前に聞かされていたのですね。それで、支店に出社して、初めての挨拶の時、支店の方々の前で「私が来ましたのでもう大丈夫です!」と言ったのです。ところが、誰も笑ってくれなかった。もちろん、半分冗談というか、受け狙いでしたが、まともに受け取られてしまいました。これで結果を出さなかったら何を言われるかわからないと、必死で働かざるを得なくなりました。これは、「宣言効果」(周囲に公言することで、やらざるをえなくなること)と呼ぶのですが。(笑)しかし、おかげで社会人として良いスタートを切ることができました。これが、後にビジネス誌でトップ営業マンとして紹介されるまでの営業成績をたたき出せた秘密です。

また、私は普段は社内の人間とあまり飲みに行くことをしませんでした。たまにならいいのですが、同僚としょっちゅう飲んでいると、どうしても同じ話を繰り返すことになりがちなので気が進まなかったのです。そこで、夜は、できるだけ外部の人と会うようにしていました。当時は異業種交流会が流行っていたので、そうした会に積極的に参加しました。自分でも2つほど異業種交流会を主宰したほどです。