キャリア塾

キャリアインタビュー:梅野勉氏

2007年11月28日

キャリアインタビュー:梅野勉氏(1)

梅野さんは2000年、49歳の時、フォルクスワーゲン グループ ジャパン(株)に転職。
同社では入社半年後に社長に就任され、以来、現在まで同社を率いてこられています。

このキャリアインタビューでは、30代のキャリアを中心テーマにしていますので、フォルクスワーゲン入社以前のキャリアを中心にお聞きすることになりますね。

フォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社 代表取締役社長 梅野勉氏

私は、本田技研工業株式会社(以下、ホンダ)に入社して、フォルクスワーゲンに移るまでの約25年間、ホンダ一筋のキャリアです。したがって、本日お話する内容はホンダでのことが多くなります。あらかじめご承知おきください。(笑)

まず20代は、本社でインドネシア市場を担当していました。現地の取引先やディーラーと連携して、同国での2輪、および4輪の販売活動や戦略の立案と実行を行いました。そして、30歳になる直前に4輪担当の駐在員として米国に赴任し、34歳で帰国しています。
帰国と同時に国内営業で戦略企画に参画した後、社長、会長の秘書役として4年間秘書室に在籍、その後は山梨県の責任者として現場で営業と販売網の整備を担当しました。ここまでが30代です。40代は車の開発チームのプロジェクトリーダー、そして、オーストラリア現地法人の社長、アジア地域の統括部長などを歴任し、フォルクスワーゲンには49歳で転職しました。

なるほど。梅野さんのキャリアを大きくまとめると、20-30代前半は「海外市場」で腕を磨き、30代後半では役員秘書としてホンダの経営トップの動きをすぐそばで見る機会に恵まれ、

40代では車の開発、国内・海外担当と、それぞれのユニットでの経営を実践したキャリアということになりますね。

フォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社 代表取締役社長 梅野勉氏

そうですね。仕事の内容について申し上げれば、戦略レベルの業務以外にも、実際に現場のオペレーションについても多くの経験を積みました。どちらも大変興味深くやり甲斐のあるというかワクワク楽しいキャリアを経験させてもらったと思います。

では、まず20代のインドネシア担当時代の経験をお聞かせくださいますか?

当時のインドネシアの2輪市場は、日本とアメリカに次ぐ大きなもので、私が担当していた時も、順調に販売を伸ばしました。一方、4輪市場は主に市場規模の小さい、乗用車だけでの参入でしたが、こちらも販売シェアを高めることに成功しています。

当時はインドネシアの現地ディストリビューターがいわゆる「ノックダウン生産」(車を部品単位で日本から輸出し、現地で組み立てる生産方法)を行い、我々は合弁会社を通して側面からディストリビューターを支える形で販売を展開していました。つまり、流通部分は現地企業に任せていましたので、ホンダとしてはメーカーとしての立場に徹して、現地企業との良好で強力な関係を構築することに力を注いでいました。

20代でいきなり海外の大市場を担当されるというのは、なかなかできない体験だと思うのですが・・・

フォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社 代表取締役社長 梅野勉氏

そうですね。私自身、海外での仕事を希望していたのですが。ホンダは若くてもやる気のある人間には積極的に大きな仕事を任せてくれる会社です。したがいまして「やったもの勝ち」というわけで、私もまだ20代ではありましたが、インドネシアではホンダの代表としての誇りを持つと言うか、気負ってやっていましたね。もっとも、周囲からはちょっと生意気と思われるくらいだったかも知れません。

インドネシアを担当していた時は、後に同国の大統領になるユスフ・ハビビ氏とも知己を得ました。彼が大臣として来日された際には、「ホンダを見学したい」ということで準備に走り回りました。また、当時の現地取引先の幹部とは今でも良好な関係にありまして、彼らが来日した時には、必ず私に連絡をくれる間柄です。

いろいろとご苦労はあったかと思いますが、20代の仕事で何を学ばれましたか?

20代は見ること、聞くこと、全てが新鮮なことだらけですよね。したがって、仕事の「基礎力」を身に付ける時期だと考えています。言うなれば、一流選手になるためのトレーニング期間という感じでしょうか。私もインドネシアの担当として無我夢中に仕事を行うなかで、あらゆることを貪欲に吸収していました。文字通り「OJT」(On the Job Training)であり、真剣勝負の仕事を通して多くのことを学びとっていったという感じです。当然、大変ではありましたが、苦労したというよりも非常に充実した毎日でした。しかも、インドネシアは、特に地方の歴史や文化が非常に魅力的ですので、いつの間にかインドネシアが大好きになっていました。
(聞き手:松尾順)