
キャリアインタビュー:高橋みどり氏
(株) Oens (オーエンス)
代表 髙橋みどり氏 イメージング・ディレクター
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キャリアインタビュー:高橋みどり氏(3)
これからも主にファッションの分野で今の仕事を続けていくおつもりなのですか?
髙橋みどり氏 イメージング・ディレクター
(株) Oens (オーエンス)代表
いいえ。実は今の仕事にあまりこだわっていないのです。ファッション関連の仕事にとらわれたくないのが本心です。
周囲の方に言わせると、私はいろんなことをやってきた人間だと思われるようですが、私自身はまだやっていないことがたくさんあると感じているのです。もっと勉強したい分野がいろいろとあります。ですから仕事の分野や内容を自分である程度選べるという点で、独立して良かったなと思っています。
では、ビジネスパーソンとしての髙橋さんの強みはなんだと認識されていますか?
仕事を組み立てられるということでしょうか。新しいアイディアを出すだけでなく、それを具現化するための手立てを考えて設計図を描き、実行に移すまでをやれるということ。
また、これには当然お金が絡みますから、いくらお金を使ってどれだけのリターンがあるかまで踏み込んで考えられることも強みです。単に「いい商品だから宣伝しましょう」だけではなく、その結果どれだけ売上につながるかという経営的な視点も必要ですからね。
マーケティング視点だけでなく、ビジネス全体の視点で仕事を組み立てることができるのが髙橋さんの強みなんですね。そのほかの強みとしてはどんなものがありますか?
ずっと消費者相手の小売ビジネスをやってきましたから、買い手の視点で商品開発や価格設定を的確に判断できるという点です。
例えば、従来よりも高い価格設定の商品を売り出すのであれば、その価格にふさわしい商品、見せ方が必要になりますよね。
また、売り手が、「このバッグは、5年位使っていると革の風合いに味が出てきますよ!」と購入を勧めたとしても、買い手としては、5年先ではなく、‘今’の状態のバッグを自分が持ちたいかどうかで購入を決めることもあるわけです。
こうした微妙な消費者心理を売り手が理解できなければ、売れる商品づくりはできないのです。
ですから、私自身、上記のような買い手としての気持ちを失わないように、自分だったらこのブランド・商品を買いたいと思うか、いくらなら出せると思うかということを常に考えるようにしています。ですから、私自身、実に様々なものを普段から買っていますよ。
自分の目で吟味して、自腹を出して買ってみないと消費者の立場で商品の良し悪しが判断できないからです。
なるほど・・・さて、キャリアの軌跡に戻りますが、メルローズの後は、バーニーズジャパンの立ち上げに参画されたのですね。
はい、バーニーズジャパンの立ち上げ時に宣伝担当のマネージャーとして入り、1年半後くらいにはジェネラルマネージャー(部長クラス)に昇格しました。結局バーニーズには7年在籍しました。
当時、バーニーズのニューヨーク本店に置いてあるファッションはすばらしく、働いている人もかっこいいので、とてもあこがれていたんです。ある時、伊勢丹と合弁でまもなくバーニーズジャパンが設立されると聞いたのです。そこで、知り合いの伝手で同社社長にお会いしたのをきっかけに、同社に入ることになりました。あこがれの会社に入社できて本当にうれしかったですね。
マネージャー、ジェネラルマネージャーとして働かれたということは、部下を束ねる立場も長年経験されたのですね?
はい。バーニーズジャパンに入社したのは30歳過ぎでしたから、20代の頃のように私が全部やらなければという意識はなく、仕事は一人ではできないという自覚がありました。ですから、むしろ周囲の人に「助けて!」という感じでマネジメントしていました。
また、私は、基本的に部下に自分で考えてもらうことを重視していたので、自分の考えを言う前に、「あなたはどう思う」と聞くようにしていました。これは、その後転職した会社でも同じでしたが、そんなことをいままで聞かれたことがないと言われて、部下の人たちも最初は戸惑っていました。
従来は、上司が指示を出し、部下はそれを忠実に実行するというスタイルだったからです。でも、辛抱強くそんなやりとりを繰り返して2年くらいすると、自分で考えることのできる部下が増えていくのです。
ジョルジォ・アルマーニにはどのようなきっかけで移られたのですか?
アルマーニへ移ったきっかけはヘッドハンティングでした。バーニーズ米国本社がチャプター11(日本でいう「会社更生法」)を申請し、このため同社創業者が全員、新しい経営者に入れ替わるという状況になり、日本法人の経営も大きく変わるのではないかと不安を抱えていた時期に、いろんな会社から声がかかったのです。その中でも好きで、自分でもよく買っていたジョルジォ アルマーニ ジャパンに入社を決めました。
実は、入社早々の大仕事が、アルマーニ氏本人の16年ぶりの来日を核とするプロモーションでした。彼は日本嫌いで知られ、直前まで実際にやってくるかどうかわからないという状況の中で、当時としては斬新な大規模なパーティやショーを開催するメガプロモーションを企画し、成功させることができたんですよ。おかげで本社の信頼を得ることができ、楽しく仕事をすることができましたね。
その後、エストネーションを仲間と立ち上げられたそうですが?
はい。エストネーションは、私を含む3人の仲間が8年越しで企画し立ち上げたショップです。日本にもバーニーズのような大人が行けるスペシャリティストアを作りたいということで、最初は飲み会の愚痴というか雑談から始まった企画ですよ。
皆、本業のかたわら、休日などに集まって事業計画を練り、出資先を当たっていたのです。その中で、サザビー(現・サザビーリーグ)の社長さんとの出会いがあり、出資をいただいて同社の子会社としてエストネーションが誕生したというわけです。
1号店は有楽町で400坪、2号店の六本木ヒルズは900坪の大きさのお店を開店しました。エストネーションは、ファッションのみならず雑貨から食料品、お花まで、ライフスタイル全般をカバーすることが必要と考えていたので売り場の広さにもこだわっていました。
エストネーションを離れて独立されたきっかけは・・・?
実は、「私の本を書きたい」というのが独立するきっかけでした。
エストネーションが誕生したのが2000年でしたが、当時から私は「ミッドルーム」という個人のホームページ(ブログのようなもの)を立ち上げていました。私は一見成功者に見えるようですが、実際には日々大変な経験を乗り越えてきたのです。決してすんなり現在に至ったわけではありません。そのあたりのことを自分のホームページを通じて次世代の女性たちに伝えたかったのです。実際、30代の女性を中心に、私の書いたことに共感するメッセージをくれる方も多かったのです。
私が30代の頃に自分の経験や勇気付けてくれる先輩はあまりいませんでした。また、おしゃれですてきで、力が抜けて楽しく仕事をしている女性も少なかったのです。
私自身は、そんな女性が日本に増えることを願って情報発信を続けていたのです。しばらくして、私のホームページを読んで共感してくれた出版社の編集者の方(男性でしたが)から、本を書きませんかとお誘いを受けました。
ただ、エストネーションに在籍したままでは本を書く余裕もありませんでしたし、私だけが本を出して目立つようなことは避けたかったので、独立することにしたというわけです。



