キャリア塾

キャリアインタビュー:高橋みどり氏

(株) Oens (オーエンス)
代表 髙橋みどり氏 イメージング・ディレクター
midroom

2008年6月18日

キャリアインタビュー:高橋みどり氏(2)

突然アナウンサーを目指すことにして、そこに近づくための第一歩としてレポーターの仕事に応募。そこで「ファッション」を担当されたことが、後のキャリアに大きな影響を与えたようですね。

髙橋みどり氏 イメージング・ディレクター (株) Oens (オーエンス)代表
髙橋みどり氏 イメージング・ディレクター
(株) Oens (オーエンス)代表

そうなんです。レポーターとして山本耀司さんのような有名なファッションデザイナーにインタビューする機会もありましたし、この番組の仕事を通じてファッションビジネスの奥深さや、服を作っている方の思いなどを知り、ファッションビジネスはすばらしいと思うようになったのです。番組は1年で終了してしまったのですが、その時点で私は、テレビ局のアナウンサーになるのではなく、ファッションビジネスに関わりたいと考えていました。

レポーターの仕事で得たスキルとしてはどのようなものがありましたか?

一番大きかったのは、人前で自分の言いたいことが話せるというスキルですね。学生時代に特に話し方の訓練を受けたわけではありませんでしたし、学生言葉が抜けておらず、最初は話し方がまずいとずいぶんと怒られました。また、台本のない番組でしたから、取材の後にレポーターとしての感想を「自分の言葉で語ってほしい」とディレクターたちに言われるわけです。ですから、自分が感じたこと、思ったことをうまく言葉で表現する訓練を1年間ずっとやってきたということになります。

なるほど。いわゆる「コミュニケーション力」を鍛えることができたというわけですね?

ええ。プロではないわけですから、取材時のインタビューも、相手にとってはずいぶん失礼な聴き方をしたことがあったかも知れません。それでも素人は素人なりの視点で取材して、それが面白いと思ってくれることもあったのです。服装やお化粧についても、スポンサーがポーラ化粧品でしたから、洋服もスタイリストがいてきっちりやるんですね。それも勉強になりました。

ファッションビジネスへの第一歩はどちらで踏み出されたのですか?

芦田淳さんの会社 (株)ジュンアシダです。やはり新聞の求人欄で見つけて。当時はまだ日本人で活躍されているファッションデザイナーさんは少なかったし、私も特に誰がいいのかよくわかっていなかったのですが、ファッションが好きな母親に「芦田さんがいいんじゃない?」と言われて応募したのです。

芦田さんのところではどんなお仕事を?

企画部の販促係です。ただ、芦田先生はテレビに出演されるなど、マスコミの取材などを受ける機会も多かったので、広報的なスケジュールを管理する秘書のような仕事でした。芦田先生は皇族ともおつきあいのあるお方でしたから、芦田先生直々に礼儀作法を厳しく叩き込まれました。今思えば、ありがたい教育を受けたなと思います。でも、当時はまだ20代前半の若い頃でしたから、あまりの厳しさに胃が痛くなったこともありました。

さて、その後、メルローズに移られるわけですが、その動機はどのようなものだったのでしょうか?

髙橋みどり氏 イメージング・ディレクター (株) Oens (オーエンス)代表

芦田先生のファッションはすばらしいものでしたけど、対象者の年齢が比較的高めのミセス向けで、若い私が自分で着られるようなものではなかったのです。一方、ちょうどその頃、日本でもようやくデザイナーブランド(DC)が広がり始めていて、ようやく若い人が着られるファッションブランドが出てきた時期でした。原宿、表参道、青山などにお店が次々にできていました。その中でも、個人的に好きでよく着ていたメルローズが人を募集しているということで転職したというわけです。やはり、(株)ジュンアシダと同じく企画部販促係として入社しました。

そもそも、企画部販促係はどんな仕事をするのですか?

企画部は、服をつくる部署でデザイナーが所属しているところです。その他の部署としてはパターン部や営業部があるのですが、販促係は、カタログ作りを行ったり、サンプルの服ができると展示会の準備をしたり、ファッションショーの裏方をやったり、今で言う「宣伝部の中のPR」の仕事です。ただ、当時はまだ独立した部署とはなっていなかったのです。「プレス」という言葉もなかった時代でした。

当時のファッション業界の花形部署といえばやはりデザイナー部やパターン部ですが、4大卒の女性は営業部の補佐しかやれないという状況でした。でも、販促係は、企画部と営業部などの中間にいて双方をつなぐような役回りで、当時はまだ新しい職種だったのです。私がそうした仕事に携われたことはラッキーでしたね。

その後、「プレス」という言葉も知られるようなってきて、私たち自身が広報や販売促進のために、自社ブランドの服を着てメディアに登場することも増えました。このため、販促担当はかわいくなければいけないとか、スタイルが良くなければいけないといった風潮が生まれて、もてはやされる一方でそのような表面的な部分に注目が集まるのは仕事の本質ではないと思っていました。ですから、当時は複雑な思いを持っていましたね。もちろん、ブランドが売れてくれることが重要ですから、ある程度割り切っていましたけど。

そもそも髙橋さんは、販促の仕事に興味があったのですか?

そうですね・・・やっているうちにだんだん面白くなってきたというところでしょうか。メルローズには10年ほどお世話になったのですが、DCブランドが急成長した時期で、私が入社時には社員50~60人足らずだったのが、10年後には300人にまで増えていたのです。その過程で私の仕事の幅もどんどん広がっていきました。他の業種等とのコラボレーションの話なども次々と舞い込んできました。どれも前例のない新しい仕事で、教えてくれる人もいない、常に自分で見つけて、探して仕事を創っていかなければならない。それが楽しかったですね。私は、新しいことは見たい、知りたい、やってみたいという好奇心が強いのです。若い頃から、新しい場所、お店、レストラン、美術館、映画に積極的に行くとかはしていましたね。これは今でも続けていますが。

なるほど!マーケティングの仕事は、やはり好奇心が強くないと楽しめないということでしょうね。

また、常に「自分だったらどうするか」ということを意識していました。ですから、話題になっている物事は自分自身で確かめないと気がすまないのです。人から聞いただけではだめで、自分がどう感じるかを大切にしています。